ウエスタンエレクトリック13Aレプリカ&WE555導入記 その7.
(ベンプレ亭書斎搬入目前のWE13Aです。これから最終塗装を経てお輿入れです。それにしても貫禄充分、まるで生物のような有機的な造形ですね)
シネマスコープの30館を除いた残りの78館、モノラルのシステムを使っていた小屋の相当数は555+15Aだったのではないかと思います。
WE594、TA4181のシステムは戦前の1936~1937の二年間しか日本に輸入されていませんでしたし、続・音響道中で、伊藤先生はWE594にはほとんど触ったことがないと書いておられるので、モノラル再生の78館の中にミロフォニックシステムは無かったか、あっても僅かであったと思います。
ただロンドン・ウエスタンの2080A、2090Aは一定数あった様です。伊藤先生はロンドン・ウエスタンが戦後、関西地区と中部地区に設置されたこと、「これらは相当な銘機であって、殊に2080及2090型のステージスピーカーは抜群なものであった」と続・音響道中に書き残しておられます。
先の1957年版ウエスタンエレクトリック・トーキーシステム使用映画館一覧によれば、同年日本で初めて公開されたシネマスコープの普及は東京地区が優勢で、中部、関西地区はモノラル再生がまだまだ主流だったようです。
「もみくちゃ人生」にも記載がありますが、やはり戦前、羽振りのよい東京からウエスタンは導入されていき、戦前のシステムはWE555A+15A。
戦後ようやくウエスタンを入れられるようになった中部、関西の地方都市は1954~1959年の間に導入され、価格がやや安かったロンドン・ウエスタンになったものと思われます。
日本にウエスタンが再登場した1949年から1956年までは先の「高域WE713-BかALTEC802、低域WE754-AかALTEC803」が導入されましたが(1954~1956はロンドン・ウエスタンと併売)、東京の一流館は既に1929~1935年にWE555+15Aの導入が済んでいたので、シネスコまでこれらに置き換えなかったものと想像します。
555の生産本数(7万本?9万本?)から考えても、594を使用したミロフォニックシステムが発表されたあとも、シネマスコープが広まり始めたあとも、555、15Aはかなり長いあいだ現役で使用されていたと思われます。
P.S.1.
日本で最初の立体音響映画は1957年4月29日、昭和天皇の誕生日に封切られた、新東宝の「明治天皇と日露大戦争」だそうです。新東宝といえば、われわれの世代では日活ロマンポルノと併映される低予算のピンク映画ですが、こんな良い時期もあったんですなぁ。
P.S.2.
WE754-AはWE755によく似た20cmのウーハーです。これで客席まで十分な音量で音が飛ぶのでしょうか。1949年には既にALTEC803は発表されていますから、754-Aは小さな映画館専用だったのでは。
この記事へのコメント